Kozo's Thoughts
Random, Weird, and 100% 石黒光司
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Welcome!・ようこそ!
Welcome to Kozo's Thoughts! As the name suggests, this blog is dedicated to my thoughts. This blog is basically a publicly available personal blog. It exists to amuse me in the future when I look back on things that I wrote. I generally write when I feel like, which is not often. I write about things that interest me at the moment, but I also I pander to my single digit audience to let them know how I'm doing. The open nature of this blog keeps me from being too personal, but I think there is a lot of value in keeping my (boring and self-serving) posts open for all. I'm open to all comments and criticisms, but please remember that I'm not really writing this thing to change the world.

Please feel free to a leave comment on any post. Also, please sign my guestbook.


Kozo's Thoughtsブログへようこそ!このブログは名前の通り僕のいい加減な考えを適当にまとめたものです。一応このブログは未来の自分が読んで楽しんでもらうために書いています。後は数少ない読者のために僕のアップデートをしています。あまりアップデートしていませんがせめて一ヶ月に一回は何か書こうとしています。エントリーのほとんどは誰でも読めるようになっています。なので、あまりプライベートなことは書いてありません。このブログは基本的には英語で書かせていただいています。日本語のはいっているエントリーはすべて日本語タッグがつています。このブログは僕のミクシィプロフィールの日記へシンディケートされています。

エントリーには自由にコメントしてください。初めての方はゲストブックに一言書いてください。
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Ohta Kouzou
MutantFrog Travelogue is one of my favorite blogs. It provides a good dose of entertainment and insight into East Asian matters, and has a interesting mix of authors. The blog post that initially brought me to their blog was a post written in 1995 entitled "Is Alberto Fujimori Japanese?" It is a critical deconstruction of Fujimori's citizenship status, that sheds light on Japanese citizenship law. I've recently had a chance to get into a discussion on Japanese citizenship law, so I take this opportunity to translate the post into Japanese.

アルベルト・フジモリはなぜ日本政府に守られているのか? 彼は日本とペルーでは法律上どのような権利を保っているのか? 両国の法律では彼の国籍は何なのか? このような質問に答えるにはフジモリ氏の人生を振り返りながら各状況に適切した法律を見ていくのが最適だと思う。

「1934年: アルベルト・フジモリは熊本県出身のフジモト・ナオイチとトフジモト・フジモリ・ミツエのの子としてリマで生まれる。両親は1934にペルーに移民した。両親はリマの日本領事館に出生届を提出して日本国籍を留保した。」(英ウィキペディアから)

日本国籍法第2条第1項は生まれた子供は以下のようなとき日本国民だと認識する。

出生の時に父又は母が日本国民であるとき

ペルー憲法第52条は:

生まれのペルー人は国の領土内に生まれた者とペルー人の父又は母の元に外国で生まれ未成年中法律下で正式に登記された者である。

以上から、アルベルト・フジモリは生まれたときペルーと日本の両国の国民と見なされていたことが明らかだ。

1954年: フジモリ氏は二十歳になる。日本の国籍法第14条は

外国の国籍を有する日本国民は、外国及び日本の国籍を有することとなつた時が二十歳に達する以前であるときは二十二歳に達するまでに、その時が二十歳に達した後であるときはその時から二年以内に、いずれかの国籍を選択しなければならない。

その後フジモリ氏はペルー大統領に立候補したため、彼がペルー国籍を放棄してないのは分かる。なので彼は日本国籍を放棄したことになるのか。あいにく、答えはそう簡単ではない。

日本国籍法第15条の規定によると、二重国籍を保つ日本国民から積極的に選択をしないため国籍を奪うには、法務大臣から国籍の選択をすべきことを催告し、その催告が届けられなかった、または返事がなかった場合、催告すべき事項を官報に掲載して奪うことができる。具体的に言うと、フジモリ氏のような二重国籍を保つ日本国民は二十歳の時(日本の成年の年)日本政府が気付かない限り、自動的に日本国籍をなくすわけではない。フジモリ氏は日本が太平洋戦争を行っていた1934に生まれ、まだ日本が終戦で回復している間の1954に二十歳になったので、おそらく東京にいた法務大臣は彼のことを気付いてなであろう。この時から彼の日本国籍のステータスは多少不明確である。彼は日本国籍を放棄しなかった、また日本政府は(たぶん)選択を求めなかったので彼の日本国籍無効にはならなかったものの、日本政府はいつでも彼から選択を求められる立場にいた。

1992年: フジモリ氏はペルーの大統領に選出する。ペルー憲法第110条は大統領に選出する条件として「大統領に選出するには生粋のペルー国民であり、立候補時には35歳以上であり、選挙権を保っている者」と定義している。ペルーは米国のように国の領土内に生まれた者に自動的に国籍を与えるから、フジモリ氏はもちろん生粋のペルー国民である。

もちろん彼が大統領に選出したことは日本国籍に影響する可能性がある。日本の国籍法第16条第2項はこう述べる

法務大臣は、選択の宣言をした日本国民で外国の国籍を失つていないものが自己の志望によりその外国の公務員の職(その国の国籍を有しない者であつても就任することができる職を除く。)に就任した場合において、その就任が日本の国籍を選択した趣旨に著しく反すると認めるときは、その者に対し日本の国籍の喪失の宣告をすることができる。

他国の大統領に選出することは明らかに「日本の国籍を選択した趣旨に著しく反する」事ではあるが、項の一行目を見るとそれは直接関係ないことだ。フジモリ氏は法務大臣に選択を求められなかったため、彼の大統領選出は日本の法律上彼の国籍のステータスには影響しなかった。彼の日本国籍のステータスは日本の法務大臣がいつでも彼に選択を要求できることからある意味不明確であったが、それは大統領選出とは直接関係はない。でも何故か日本の法務大臣はフジモリ氏に選択を要求しなかった。なぜ日本政府またはペルー政府がフジモリ氏の国籍のステータスを調べなかったのは想像がつかない。でもインターネット検索で調べられる限り、彼が2000年に日本に逃げるまで問題にされてなかったようだ。

2000年11月13日:フジモリ氏はスキャンダルの中、ブルネイでの会議に主席するためペルーを出国したとされている。でも同年11月17に彼はブルネイから東京へと行く。そこから彼は辞表をファックスし、その後郵送する。日本政府は彼の日本国籍を認め、旅券も発行する。彼の二重国籍と異国の大統領であったことは問題とされない。

フジモリが亡命している間、日本政府はペルーと犯罪者引渡条約を結んでないからとして、ペルーの引き渡しの頼みを無視する。

2003年3月26日: インターポールはフジモリ氏に対して赤令状を発行する。インターポールの報道発表によると;

インターポールの加盟国は各自の国内法に基づいて赤令状の仮逮捕の理由が正当であるかを判断しなければならない。いくつかの国では赤令状に基づいて指名手配犯の仮逮捕を認めます。赤令状を法律上特別な意味のない情報だと扱っている国もあります。

加盟国は要求国のために指名手配犯を仮逮捕するかどうか決めるには、両国の間に犯罪者引渡条約が結ばれているかは重要な判断材料となります。

メディアはインターポールの赤令状が国際逮捕状であることを伝えるのはよくある誤解です。

日本は法律上ペルー政府にフジモリ氏を引き渡す義務はないものの、彼を訴追から守ろうとしたと言うことは事実といえるでしょう。普通の日本国民は送還から守られています、及び日本政府はペルーに対して条約またはインターポールをとうして日本人を引き渡す義務はない。でもフジモリ氏の日本国籍への権利は普通の日本人より弱い。52年間要求しなかったものの、法務大臣はフジモリ氏から日本国籍かペルー国籍のどちらかを選択させる権利を未だに持っている。それで、もしフジモリ氏が日本国籍を選んだ場合、法務大臣は彼が異国で異国の国籍を必要とする公選役職に勤めたとして、国籍法第16条に基づいてその日本国籍の喪失の宣告を告げることができる。

日本政府がなぜこのような強い態度をとったのかは不明確で気になる。汚職なのか?妙な人種連帯なのか?または在ペルー日本大使公邸占拠事件の時、人質の犠牲を1名に抑えたお礼なのか?

フジモリ氏がチリの拘束下にあった今、チリの日本大使は日本国民であるフジモリ氏の健康状態を確認するため個別会談を要求している。ペルーの副大統領はそれに対し「これはペルーとチリの問題で、日本には関係ない」と述べている。
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Original )
Ohta Kouzou
Ever since I've returned from the OSDU Provincial Championships two weekends ago, I've sort of been in a translation funk. I got a bit busy with post-OSDU transition stuff, and doing taxes, but I really don't have a great reason why I've neglected posting for a while. I have a couple of half-done Japanese translations I just can't seem to complete. So I decided to do a French to Japanese translation in honor of my two rounds of swing French debating I did at the Championships. I've now debated in English, French, and Bilingual categories which is probably a fitting end to my debating career.

I'm not very happy with the Japanese version, so expect it to change a couple of times before this post settles.

モントリオール市長:カナディアンズはケベックの人たちに買収してほしい

アイスホッケーチーム、モントリオール・カナディアンズの現オーナーのギョージ・ジレットがチームを売るということについて、モントリオール市長ジェラルド・トランブレイは水曜日ラ・プレッス紙にカナディアンズが「ケベックの人たちのものになってほしい」という希望を述べた。

市長はカナディアンズのファンであり、市にとって欠かせない存在だと思っている。チームの売却ついて聞かれたとき市長はまずチームのプレイオフ進出を願った。

「私はカナディアンズがモントリオールに残って、ケベックの人たちの投資により彼らのものになってほしい。」とトランブレイ市長は言った。「でも一番大切なことはこのチームがモントリオールに残り、今後もナショナル・ホッケー・リーグの他チームの羨望の的であってほしい。」

Original )
Ohta Kouzou
I've been following the World Baseball Classic on television these days. I've even gotten up at 5 am a couple of times to watch the Japanese team play. I'm not the only one watching the Japanese team on TV. It seems Fidel Castro is following the WBC, and he had some things to say in his 'Reflections by Comrade Fidel' column which is syndicated in Cuban newspapers. 'Reflections by Comrade Fidel' reads like a blog and besides baseball, ole' Fidel has tons of ideas to share about all kinds of stuff (like America's 11th President). I've translated the English translation of his entry on the WBC into Japanese. Yes, I realize how ridiculous that is, but I figured translating a piece written in non-Native English would be an interesting challenge. PLUS it's the first piece that I've done written in the first person. I've also included the Spanish original for all my Spanish reading audience (all 0 of you), so you can tell me how close the Spanish translation is to the English.

フィデル・カストロの第二回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)についての沈思
カストロ同志の沈思

私はベースボール・クラシックの模様を国立テレビ事業を通しては意見している。

チューバの強敵、日本と韓国の試合は月曜日3月9日に行われた。日本に攻撃が二回しか残されていなかったときは、韓国が1-0とリードしていた。

その回、先頭打者が三振したあと、前3打席ヒットなしだった危険で象徴的なイチローがヒットを打った。

日本のコーチは、疑いもなく一流の、第二打者にバントを命じた。結果として日本は相手に二つ目のアウトを与えた。

私はこの行為は、我がチームにとって、どう考えても間違いだと確信を持っている。

日本のチームは優秀で技能が優れたチームだ。私は我がチームのWBC優勝はこのチームを破って飾りたい。

ただし、もし私が日曜日3月8日の昼に見たキューバ対南アフリカ戦での我がチームの不注意が続けばそこまでたどりつけないだろう。

オリベラとパレは共に一塁で牽制され、ミチェル・エンリケスは無理に二塁へ進もうとして相手にアウトを与えてしまった。彼の過ちはコーチの走塁戦略が積極過ぎたせいかもしれない。

我がチームが放った六本の本塁打はWBC記録であって、このような間違えがなければ、7回でコールド勝ちでき、キューバのスポーツに十分に値する名誉を捧げただろう。

私がこのような批判をするのは間違えを犯した三人は優れた選手であるからだ。彼らは自分が犯した間違えに対して驚異的な恥を感じているが、それでも自分に自信をもっているはずだ。

彼らはこの国際競技でスポーツの純粋さを代表してることを知っている。私は自分の意見を感心と共に正直に表明する必要がある。

フィデル・カストロ・ルス
2009年3月9日

The English Translation )The Original )
Ohta Kouzou
虐殺の目撃者、アリソン・デス・フォージス、2月11日 66歳で死去
2009年2月19日のザ・エコノミストから

二つの飛行機事故がアリソン・デス・フォージスの人生を大きく影響した。最初のは、15年前ルワンダ上空で二人のアフリカ大統領を乗せた高級ジェット機が撃墜されたときだ。ふたつ目は、先週ニューヨーク州バッファロー市で混んだ通勤用飛行機が氷点下の中墜落して50人の人を殺したときだ。最初の事故は歴史上最速の大量虐殺の口実となった。二つ目はそれを根気強く目撃し続けた白髪のアメリカ人女性を沈黙させた。

1994年4月6日には、デス・フォージス氏はバッファロー市の自宅にいた。その日の午後8時20分に、ルワンダとブルンジの各大統領が殺害された、バッファロー市では昼食の時間だった。その20分後、ブルンジの首都、キガリにいた友達がデス・フォージス氏に電話をかけた。「これだ。我々は終わった。」とデス・フォージス氏の人権監視者仲間のモニーク・ムジャワマリヤ氏は言った。

それからデス・フォージス氏は深夜まで30分ごとにジャワマリヤ氏に電話をかけた。ジャワマリヤ氏は民兵が人々の家に回り、住民者を撤退して殺害してる模様をデス・フォージス氏に説明した。そのうち民兵はジャワマリヤ氏の家まで来た。デス・フォージス氏は、民兵(殺害者?)に電話を渡すようにと言った。デス・フォージス氏はホワイト・ハウス関係者のふりをして民兵を追い払うつもりだった。でもジャワマリヤ氏はそんなことでは追い払えないと説明し、「子供たちをよろしく、これから起こることは聞いてほしくない」と言い残して電話を切った。

デス・フォージス氏はその瞬間から運動家になった。彼女は1972年にルワンダの歴史について博士論文を書いたため、ルワンダの波乱な歴史をよく知っていた。なので彼女は20年後の悪夢を多くの人よりよく理解していた。彼女はヒューマン・ライツ・ウォッチのために政治的暴力を調査するために何年もルワンダにいた。彼女は、1993年にフツ系の政府とツチ系の反乱グループ、ルワンダ愛国戦線、の間に結ばれた和平協定は保たないと分かっていた。フツ族の軍事指導者は権力を分ける事を避けるため大量虐殺を企むこともよく分かっていた。

誰も聞かない叫び

彼女は数々の電話をかけ、ファックスを送って、必死に情報収集を行った。4月17日には彼女はルワンダで大量虐殺が起きてることに確信を持った。部外者がそのことを述べたのは彼女が最初の一人だった。でも自体を変えられる者は皆彼女を無視した。米国務省のアフリカ専門家は彼女の話を聞いて一緒に泣いた。でも誰も米国務省のアフリカ専門家の言うことなど聞かない。国連関係者は異人の避難のことしか心配していなかった。ビル・クリントン米大統領は、前年人道的任務を行ってた18人の米軍人が殺されたソマリアのような事態を避けようとしていた。デス・フォージス氏は米国防総省に虐殺を計画するために使われていた無線電波を妨害することすら説得できなかった。電波妨害はお金がかかりすぎると言われた。

虐殺はルワンダ愛国戦線がフツ系政府の完全制圧と共に終わった。デス・フォージス氏は内線後の4年間、複数の研究者を率いって真実に迫った。その後、彼女は800ページにわたってその悪夢を丁寧に記録した。今後の歴史家はその記録を頼りにするだろう。彼女の証言のおかげで複数の犯罪者が刑務所に入れられた。彼女のおかげで多くの人が言ったように、この虐殺の原因は昔からある民族問題が自発的に悪化したものだと言えなくなった。彼女は虐殺の計画を読んだのだ。彼女は50万刀ものマチェテの領収書を見たのだ。

ある意味彼女は古風だった。他の人権活動家は数々の社会経済的権利、社会住宅や公正取引などのことを心配する。でも彼女の心配は、殺されない権利のようにもっと単純だった。戦場に駆け込んだり、殺人を犯したばっかりの人に質問したりで、彼女の研究法のリスクは大きかった。彼女は、夫を埋めさせられた後強姦された女性たちのことや肥溜めに放り込まれた赤ん坊のことなど、吐き気のするような詳細もしっかり記録した。

彼女は事実が証明すること以上は推測しない。虐殺の犠牲者は80万人から100万人と推測する人もいるが、それでも彼女は犠牲者は50万人と言い続ける。他には、もし虐殺を犯したフツ族が悪人であれば、彼らを転覆させたツチ族はいい人だと思う人もいる。でもデス・フォージス氏はこう言う、虐殺を犯したのは一方だけだが、両方とも戦争犯罪を犯した。彼女は1994年にはルワンダ愛国戦線は2万5千人もの人を殺害したと述べている。

デス・フォージス氏の誠実の人柄のせいで彼女は現在ルワンダを統治するルワンダ愛国戦線政府に嫌われている。去年、ルワンダの司法制度を批判するレポートを書いた後、彼女はルワンダから入国が禁じられた。彼女は死ぬ前には、虐殺に参加したと不当に非難されたと思った亡命している学者を支持していた。彼女が編集したコンゴでの暴力についてのレポートが死後出版された。

彼女の動機は何だったのだろう?その答えはある秘話に隠されているかもしれない。1993年に、ルワンダの隣にあるブルンヂで何万人もの一般市民が殺された。そのことは西洋のメディアではほとんど報道されなかった。それを見たフツ族の軍事指導者は同じ事をしても誰も気づかないだろうと思った。デス・フォージス氏は残虐行為をしっかり記録して絶え間なく公表すれば世界は気づかなければいけなくなると信じた。彼女の本の題名は、「話が出来るものは残すな」という殺害者のかけ声からできた。デス・フォージス氏はその話の大切さを知っていた。

Original )
Ohta Kouzou
I'm thinking about doing one Japanese-to-English, and one English-to-Japanese translation a week. The LDP parody poster on Mutantfrog tickled my fancy, so when I saw this article on Asahi I decided to make it my article of the week.

"Aso Separation" even affecting election posters. Diet members avoiding photos with the Prime Minister.

The "Aso Separation" phenomenon continues, and is now affecting political posters being made by LDP members. Members are avoiding having their picture taken with the Prime Minister, whose cabinet approval rating continues to fall. Rumors of the Prime Minister's resignation continue to build within the party, leading some to speculate (fear?) that "there is no guarantee that Lower House elections will be held under Mr. Aso."

Election laws prohibit candidates from putting up political posters 6 months prior to the end of their term of office (September 10 for Lower House members). In March, many Diet members begin to post posters, under the pretext of advertising speaking engagements, featuring the candidate with other politicians. Usually these posters use a photo of the candidate with the Prime Minister who is also the LDP Leader.

This year, however, one young Diet member expressed concerns that "we don't know how long Mr. Aso will be Prime Minister. If he resigns we would need to redo our posters." A Cabinet member, who began poster production, was pressed by his (gender neutral pronoun) supporters not to use Prime Minister Aso's image. Instead he (GNP) is considering using a picture with a well-known female Cabinet member, or a picture with the local governor.

One of the "Koizumi children" elected from the Kanto region is considering producing a photo publication with Health, Labour and Welfare Minister Yōichi Masuzoe. "When we were posting posters with Mr. Aso I got a complaint saying 'I cannot support you if you post those posters,'" he recounts.

Among representatives from Tokyo, Nobuteru Ishihara, acting party secretary-general and chairman of the party's Tokyo chapter, is a popular choice. Members who wish to have their photo taken with former Defense Minister Yuriko Koike are not rare. "Poster popularity" may be connected to finding Mr. Aso's successor.

Original )


Image from:
Mutantfrog Travelogue
Ohta Kouzou
自分の日本語の練習のため今日から週1・2回英語の記事を日本語に翻訳しようと思います。あまり日本の新聞に出てこないカナダについての記事を選ぼうと思います。でも翻訳第一号は日本の新聞にも出ていたオバマのカナダ訪問の記事にしました。日本語の記事を英語に翻訳することも考えています。

Happy New Year! Welcome to my new blog... not really. But since I've been neglecting this thing for a while now, I felt I would repurpose this for something useful. I'm going to use this blog as a place to post my translations of articles. As Japanese practice I will be translating English articles into Japanese, and some Japanese articles into English. I plan on choosing articles that may not get much play in the Japanese press (i.e. articles about Canada). But for translation #1 I've picked an article that has gotten lots of play from everyone. Although I don't think I've seen many Ignatieff mentions in any Japanese articles. I don't have any solid plans for how often I'll do this, but I plan to do at least one a week. I'll start easy, but ultimately I want to translate an Economist-level article. Feel free to point out any mistakes.

オバマ大統領カナダへの初外国訪問終了
2009年2月20日8時22分

 【ハミルトン=太田耕造】オバマ米大統領は木曜日、カナダへ7時間の訪問で就任後初の外国訪問を終えた。オバマ氏はカナダ政府と共に世界経済危機問題と防衛問題について協力することを公約した。

オバマ氏はハーパー首相と会談し、両首脳は今後世界経済危機問題と地球温暖化問題とテロ問題について協力し続ける公約を表明した。

アフガニスタンへの米軍増派を決めたオバマ氏は、2011年に予定されているカナダ軍撤退の件はハーパー首相と話さなかったと述べた。両首脳は会談を発展的と説明し、今後も両国の関係が強化することを期待していた。

オバマ氏は帰国直前に野党党首のマイケル・イグナティエフと会談を開催いた。両者の関係者は訪問を両国の特別な関係の証だと歓迎した。

オバマ氏は午後ワシントンに帰るため、オタワ空港でエアフォースワンに乗り込んだ。大統領は連邦警察の儀仗兵と少数の政府関係者に見送られた。

Original )
Wednesday October 17th, 2007 20:40 - I'm not dead/死んでません
Ohta Kouzou
I'm sitting in my Canadian history bored and tired out of my mind. Handing in my annotated bibliography and outline for this class tonight has signalled the end of my first 10 days of hell of the semester. I don't think I've ever been this busy with school work in my 4 years here, and I'm taking one less course than usual. I was told by a number of forth year is easier because you finally know what you're doing. This is true, unfortunately you just have a lot more things to do, and knowing how to do something doesn't make it any less time consuming. All this is not helped by the fact that debating needs me more than ever since most of our executive (save one) graduated. So while I'm not dead I've felt like a zombie a number of times this past week due to a lack of sleep. I look forward to catching my breath this weekend.

In happier news, I've replaced my graduated friends by getting involved with the Japanese community on campus. It's actually amazing how many Japanese speaking students there are at Mac. It's also pretty amazing how I managed to avoid it all for 3 years. I anticipate fun times...

この日記ミィクシにシンディケートされていて最近マックの日本人会のみんなとマイミクしているから日本語でも一言書いておきます。みんなも期末試験やペーパーで大変ななかご苦労さん。僕は今日が終わってでちょっと余裕ができました。この二日間キャンパスを歩いて偶然みんなに出会ってちょっと勉強で暗かった日々が明るくなりました。

誕生日もよろしくね!
Sunday August 26th, 2007 20:54 - 子ども村感想文
Ohta Kouzou
下手な日本語だけどもしよかったらぼくの大分での一ヶ月の感想文を読んでください。この感想文は子ども村の企画者のこどもあーとに頼まれたものなのでそれを承知して読んでください。

Behind the cut you will find the Japanese comments I was asked to write about my workcamp. While it is addressed to the organizers of the workcamp, it also describes some of my thoughts on the whole experience. It's also probably the most significant work of Japanese I've produced in a long while, so I preserve it here for all to read. It also (probably) conveniently wraps up my blogging about my trip to Japan.

感想文 )
Ohta Kouzou
I there was any doubt I was back in Montreal, the Purple Haze I had last night with the "Art Crew" certainly cleared it up quickly. That doesn't happen in Hamilton... I was great to see Em and her gang of friends again.

Quick Recap:
-I spent most of last week with Josh and Alex. Basically goofed around in the house playing poker and watching random stuff before setting off to DDT. I came away with the overwhelming feeling that there was an unresolved/unidentified tension between the three of us.

-DDT was fun. Mike and I have great chemistry and I didn't have the same kind of partner issues I had with Josh the previous 2 years. We came out of all but 1-2 rounds satisfied. We ended up with an 8-1 record before the break, but we lost the semi (which was sort of a relief). I was probably more satisfied with my Texas Hold'em split win with Tim O (who is one of my favorite people in debate, and incidentally is my new housemate's brother). So I actually made some money over the weekend ($5 net).

- If you didn't see Jon Stewart's interview with Ramesh Ponnuru, you should.




Now the archival stuff. I was recently searching Google for more information on Tsurumi Shunsuke (鶴見俊輔). Tsurumi is easily the most important/respected intellectual who is aware of my existence. What I found was an interview conducted 8 years ago for a bilingual internet journal between Tsurumi and Muro Kenji (who apparently was a classmate of my mother in school). The interview puts into clear words my own thoughts on language and communication. Unfortunately the website hosting the interview is gone and I was only able to save the interview through Google cache. The interview is entitled 文化の壁をこえて心にとどく言葉 (Language that Crosses Cultural Barriers) and it gives great insight on the nature of language, and also gives the reader a look at Tsurumi the man. For archival purposes, and to enrich my readership (all 2 of you) I'm posting both versions of the interview below.

English Version )
日本語版 )
This page was loaded Dec 24th 2009, 21:33 GMT.